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Harvard Business Review (2008年11月号) 。セオドア・レビットが語った真にマーケティングに必要なものは 「知識ではなく思考」

セオドア・レビットの言葉から、マーケティングについて書いています。

エントリーの内容です。

  • 真のマーケティングに必要なもの
  • データや情報のレベル感
  • データを価値に変えるには

 

真のマーケティングに必要なのは、知識ではなく思考である

元ハーバード・ビジネススクール名誉教授の故セオドア・レビット (Theodore Levitt: 1925-2006) は、1960年代に近視眼的マーケティングを提唱したことで有名です。

セオドア・レビットへのインタビュー記事が、Harvard Business Review (2008年11月号) に掲載されていました (記事は再掲としてです) 。2008年11月号のテーマは 「マーケティング論の原点」 です。

 

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 11月号 [雑誌]

Harvard Business Review 2008年11月号 [雑誌]

 

 

記事では、聞き手からの 「いかに真のマーケティングを実践するか」 という問いに、セオドア・レビットは次のように語っていました。

 「思考」 と 「イノベーション」 がキーワードではないでしょうか。

残念ながら、思考という行為は、多くのマネージャーに歓迎されたり、いちばんに優先されたりすることはありません。

マネジャーやリーダーを選ぶ際、いちばんに重視されるのは経験であり、それも 「成功の経験」 です。その証左が、あらゆる公式の場で珍重されるのが 「経験で語る人物」 であり、「理屈はそのとおりですが、しかし ―― 」 という、一種傲慢であり、侮辱的な響きが感じられる発言です。蛇足になりますが、理論も思考と同様、あまり尊重されませんね。

ここで申し上げている思考という概念には、過去の経験や事実だけに頼らないという意味も含んでいます。

トップ・マネジメントのみならず、ライン・マネジャーですら、過去に拠りどころを求めるマネジメントに傾きがちです。はたして、これでよいのでしょうか。

マネジャーが組織に持ち込む最大の危険物は、「過去の経験」 と 「それに基づく知恵」 です。これらのおかげで ―― 概して人間の記憶は持続性に乏しいものにもかかわらず ―― 彼ら彼女らは迅速かつ自信満々に行動できる。しかし予期せぬ変化や不意打ちには、まるで役に立ちません。マネジメントは明日のためのものであって、昨日のものではないのです。

「うまくいっているかい」 と声をかけるよりも、「何か新しいことはあるかね」 と尋ねるほうが重要です。前者は過去に関する質問ですが、後者は将来に関する質問だからです。

思考は明日のため、イノベーションのために必要な行為です。

(引用:Harvard Business Review (2008年11月号) )

 

セオドア・レビットが強調しているのは、知識よりも思考です。

ここで言う思考とは、過去の経験がベースになっている知識ではありません。むしろ経験に縛られずに明日や未来を考え、自らやまわりに問いかける行為です。そして、マーケティングには思考が必要なのです。

 

 「データは情報ではない、情報は意味ではない」

知識よりも思考が重要であると語った後に、続くインタビューでセオドア・レビットは興味深い指摘をしています。

過度なデータ主義も奨励されるものではありません。人間から識別力や判断力を奪うには、膨大なデータや情報を注入することです。

データは情報ではないし、また情報は意味ではありません。データを情報に、情報を価値に変えるには何らかの加工が必要です。それが思考です。

(引用:Harvard Business Review (2008年11月号) )

 

引用部分の中で、印象に残ったことは2つありました。

1つめは 「データは情報ではない、また情報は意味ではない」 です。前半のデータは情報ではないというのは、data は information ではないということです。

Data と Information

ここで言う data とは、単に集められた数字の状態のものです。収集されたローデータです。Data の語源はラテン語の dare (与える) で、data は 「与えられたもの」 です。

Information は、data が整理され使える状態になっているものです。検索可能な状態とも言えます。ローデータが集計され、数表やグラフになっている状態がインフォメーションです。

ビッグデータという言葉はあっても、ビッグインフォメーションという表現はありません。ローデータは大量にあっても構いませんが、インフォメーションは大量にあると人は処理しきれません。このように、データとインフォメーションは違うものです。

Information と Intelligence

セオドア・レビットは 「情報は意味ではない」 とも言います。

データからインフォメーションに加工しただけでは不十分ということです。インフォメーションを分析し、評価や解釈をすることによって、はじめて意味がある、すなわち価値があるということです。

Data を加工し information にし、それを分析や評価をして得られるのが、intelligence です。Information は数表やグラフです。intelligence とは、数表やグラフから比較や分析がされ、統合され、目的に応じた結論、考察や示唆が示されているものです。

Data, information, intelligence を区別する

日本語では、data 、information 、intelligence のいずれも、「情報」 と表現できてしまいます。逆に言うと、日本語ではこれら3つを区別せずに、ひとくくりに同じものと見なせてしまいます。

例えば、個人情報についても、「個人 data」 「個人 information」 「個人 intelligence」 と分けて考えれば、議論がしやすくなります。

ここまで、セオドア・レビットの言葉で印象的だった1つめの 「データは情報ではない、また情報は意味ではない」 についてでした。

 

 「情報データを価値に変えるには思考が必要」

セオドア・レビットが語ったことで印象に残った2つめは、「データを情報に、情報を価値に変えるには何らかの加工が必要。それが思考である」 です。先ほどの data, information, intelligence の話にもつながります。

セオドア・レビットが言っていた、「真のマーケティングには過去の経験にもとづく知識よりも、未来を見る思考が重要になる」 ことと併せて考えると、示唆に富む指摘です。

Data → Information → Intelligence とより高度なものに変えていくために必要なのは 「思考」 であり、過去の経験ではないのです (私自身の解釈は、情報を価値に変えるためには、経験にもとづく知識が全く不要とは思えず、知識と思考の両方が必要で、より重要なのが思考ということです) 。

データは事実であり、常に過去に起こったことです。いくら大量のデータであっても、ビッグデータとは過去のことです。

そのデータをインフォメーションに整理した段階でも、あくまでそれは過去を整理した状態にすぎません。

データ分析の目的は、未来を予測し理解することです。Data と information の段階では、過去情報でしかありませんが、intelligence には未来の要素が入ります。

そう考えると、セオドア・レビットが言う 「データを情報にし、情報を価値に変える」 ために知識ではなく思考が必要という意味が見えてきます。

 

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 11月号 [雑誌]

Harvard Business Review 2008年11月号 [雑誌]